日記×僧兵(11)

乗円房阿闍梨慶秀八十歳に驚いてから、彼について注意して読み続けると、新たな発見があった。

彼が親代わりになって育てた僧兵の存在だ。

僧兵の名は刑部房俊秀。

慶秀が、以仁王の護衛としてつける際に、俊秀のプロフィールを語るのだ。

おかげで、僧兵が元はどんな人間かがわかる。

俊秀の父親は、平治の乱で源氏側につき、討ち死にしていた。

俊秀は慶秀の縁者だったことから、慶秀に引き取られて育てられたとある。

つまり、僧兵になる前は侍だったことや、父親が敗者であるため、俗世にいづらい立場の人間だったことがわかる。

すべての僧兵が、俊秀のような事情で僧兵になったわけではないだろうが、このような事情で僧兵になった人間がいたということがわかった。

ところで、ここまで詳しくプロフィールを語られた俊秀だが、どうなったか。

「橋合戦」の次の「宮御最期」において、以仁王に最期まで付き従った護衛の一人として登場し、以仁王が流れ矢に当たって亡くなるのを見ると、他の僧兵達と共に最後の戦いに身を投じ、討ち死にしている。

なお、その僧兵の中に、鬼佐渡、荒土佐、荒大夫、金光院の六天狗もいた。

際立った名前で活躍してないと先日の日記に書いて申し訳ない。

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