真夏日

イラッ

っとすることは誰にでもありますね。

そして私も最近イラッとすることがあります。

大抵の場合、イラッとしても

すぐに気持ちを切り替えられます。

相手はこう思ってたんだろうな、

こういう考えなんだろうな、とか

考えます。

でも、それでも相手が執拗に

持論を押し付けてくる時は

カチンとしてしまう。

相手に執拗に持論を押し付けてくる人は

最初から相手の事を

「お前はダメである」

と決めつけているのでしょうか。

「お前はダメである」

と言われたら、すべての人は傷つきます。

でもこの言葉を言う人は、しれっと

「だって本当の事だもん」

と言う。

しかし自分がそういうことを言われたら

ものすごく怒る人が多い。

あるいは、悩んでる相手を見ていてイライラ

する自分の気持ちが嫌だから

相手に持論を押し付けて、相手を変えようと

するのかもしれない。

自分が変わるのではなく、

自分が相手を見ていてイライラするのが嫌だから、

相手を変えようとする。

こういう人もいますよね。

んで、そういう本音を言えないから

「あなたの為に言ってるんだ」

という言葉を使ってくる。

しかし本当に相手の事を救いたくて

持論を展開している人もいます。

見極めポイントは、そう言う事を言われた時

不愉快さを感じるか感じないか、かな(笑)

言葉は嘘をついても、気持ちは嘘をつきません。

否定的な所から発せられた助言なのか

保護的な所から発せられた助言なのか

何か他に目的があって発せられた助言なのか

意外と心は言葉にならない気持ちを

的確に見抜いているような気がする。

私はいろんなことを悩んだりするのですが

悩んでいる時は、ネガティブオーラ出してますが

(ネガティブオーラも本当は出さない方がいいです)

そこまで人にアドバイスを求めてはいない。

悩みどころが、人と少しズレているのかも。

一つ例として

どうしたら、自分の欠点を改善できるか

という事を悩んでいたとすると

改善方法を知りたいのではなくて

改善方法を実行するに至る

あるいは実行し続ける

「気持ちの持って行き方」

が知りたいのです。

改善方法は、多分ほとんど同じで

でも大抵の人は方法は分かっているのに

実行できなくて悩んでいるのではないかな、と。

気持ちの問題で。

多分多くの人はそれを分かっているから

他人からあれこれ言われると、イラッとくるのかな、と。

ネガティブオーラを出している時私は、

自分で答えを導き出したいから

考える自由な時間が欲しいと思っている。

疑問点があったら、自分で探しに行きます。

交流分析を学んだ、ウン十年前に

その本の中にこんな言葉が

「愛とは相手本位の時間を与えること」

交流分析ではそう考えるみたいですね。

一概に「愛」とはこれだけではないですが。

あーわかるわかる、と思ってしまった。

またまた例として

ハイハイしていた赤ちゃんが

自分の足で立ってみたいと思い

転んでも、転んでも、必死でつかまり立ちを

しようとしている。赤ちゃんには多分

それがとても楽しいのでしょうね。

やりがいみたいなものを感じているのでしょうね。

でもそれを見た周りの大人たちが

ふいに「立つ」ことに手を貸して

立たせてしまったら、とたんに赤ちゃん

大泣きしだした、というようなことが

あるとするなら、むやみやたらに

相手に手を貸す、助言をする

というのは、相手の成長する機会を

奪ってしまう事になるなぁ、と。

赤ちゃんは「立つ」事ではなくて

「自分の力で立つ」「自分でやってみたい」

という事を欲しているんだろうなと。

「相手本位の時間を与える」ことが

どれほど相手を成長させることか。

しかし間違っている事をした時はちゃんと

正しい事を厳しく教えなければなりません。

大人達の出番は、多分ここなんだろうなと。

ほとんどの人が

自分の欠点の改善方法ではなくて

「改善方法を実行する、自分のやる気」

を得たいんだと思います。

でもこれには、方法はないですよね。

あるとするならば

「自分の気持ちに気づく」しかないのかなと。

意外と自分の気持ちに、私も含めて

気づけない、受け止められない人が

多いのかもしれません。

それに「禁止令」が入っていたりすると

自分の気持ちに気づいても

自分の気持ちを全力否定してしまう。

まずは自分の内面をきちんと直視

しなければならないんだけど

そしてこれが、難しい。

これもみんな分かっていることだけど

出来ないから、みんな苦しんでいる。

人と自分を適度に比べる事で

自分の至らない点に気づいて

「恥ずかしい」「悔しい」「腹が立つ」「悲しい」

と自分の感情が湧いたとき

「自分はそう感じだから、これからどうするのか」

と自分に問うて「自分は変わりたい」

と思った人は自分の欠点の改善策を

実行しようとするのかもしれませんね。

感情の段階に留まっている人は

なかなか実行できないのかもしれません。

とはいえその感情にどう自分なりに

自分の答えを出すのか、

これは人間の数だけ答えがあると思う。

みんな答えを出せないから

実行できないんだろうな。

けれども答えは自分の中にしかないし

自分でものすごーく考えて自分で答えを出すしか方法がない。

自分の気持ちも他人の気持ちも

受け取れない、信頼できない

あるいは全否定しているから

多分みんな苦しんでいるんだろうな、と。

自分の気持ちを、言葉に変換できないときとか

気持ちを信じることができないときとか

自分の気持を分かってもらえないときとか

とてもモヤモヤしたり、イライラしたりする。

気持ちって、あなどれない。

人間として生きるのって、難しいですね。

いくつもの気持ちや思いや

気持ちとは関係なしにやらなければならない仕事等、

同時に抱えていかなければならない。

うまく世の中で生きていけなくて

悩む事もあると思うけど

それが悪いわけではないし

結果をなかなか出せなくても

目に見えない聞こえないだけで

みんな改善に向けて、心の内側では努力している。

みんな本当は全部分かっているから。

あとは本人次第なので。

けれども「あたたかい思いやり」をもらったとき

とても心が軽くなりますね、ありがたい。

何事も丁度良い加減が大事なんですかね。

そんなこんなで今日も一日を送っております。

というか、イラついていた気持ちの部分から

自分の思いを展開してしまった。

ウザい人間に見えてるだろうなぁ、私(笑)

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