男と女のこと結婚と不倫

近頃では、脳の内部のメカニズムがさまざまに形で解明されてきて男と女のこと

が脳の働きによっても説明がつくようになってきた。

愛には寿命があると主張したある脳科学者は、脳内物質を細かに調べてみた結果、脳

内に分泌される物質は変化というか劣化していき、愛や同じ相手に対する欲望は色あ

せていくことが分かった。

永遠の愛とは、科学的には存在し得ないものであって、おそらく観念的というか

哲学の分野で語られるべきことあって、現実的には、キリスト教など巨大な宗教

勢力や当時の為政者が、民を統制するのに都合の良い概念ではなかったのか。

結婚するということは、互いに相手の性行為に関する管理権を持つことだ。人は

なぜ結婚という守れない約束をするのか、そして一生ひとりの人を愛し、他

に目もくれてはいけないという理不尽なまでに過酷な倫理観を強いて、世間は、それ

に抗うものを糾弾する。

結婚式で、わざわざ神様の前に永遠の愛を衆目の集まるなか誓わせるのは、神様

も、本当は人間はそんなに立派な生き物でないことは百も承知だからこそ、その

茶番劇をお認めになったのだろう。

このところ、パソコンや各種携帯端末からipadスマホまで電子機器の進歩は目覚

ましい。しかし、科学や技術が如何に進歩し、生活や環境が如何に変わっても永遠に

変わらないものがひとつだけある。それが恋愛だ。

時代や社会をとりまく環境を超えて恋愛は、まさしく一代限りの知恵であり

行動である。一代限りということは、邪よこしまなものを含め、恋愛感情や

行動は、進歩などしないということになる。

進歩はしないが、不倫の恋は、人間としての賢明さと度量があらゆる場面で要求され

試される。倫理に反する行動を、如何に正当化しないまま、それぞれの胸の内で昇華

し得るかが問われる非常に高等な恋愛に違いない。

たとえ、僕がいかに邪よこしまな恋に身を投じ、男の女のことが、少し

わかったとしても、その体験と知恵は息子たちに伝えていくわけにはいかない。

そういう意味では、この恋愛は、砂浜に積み重ねた砂の楼閣のように、一波くれば、

すべて見事に消え失せてしまう。

そして、最後まで胸の内に秘め墓場まで持っていってこそ、真の大人の恋あり、パー

トナーを含め、周りの人への愛情と気遣いだと思う。

先日、出会って8年目になる、平成生まれの彼女に聞いてみた。彼女が独身の時から

の付き合いである。

僕とこんな事して、旦那さんに悪いと思ったことないの。

僕の事、嘘でも大好きと言ってくれてうれしいけどね。

無理してんじゃないの。

倫太郎は、奥さんに悪いと思ったことねェのかよ。

悪いと思ったらこんな事してねェし。

倫太郎もジジィ臭くなったなァ、死ぬのかよ。マジッ、ウザんですけど。

スマホをイジる若い彼女の後ろ姿を観ながら、言外にそんなこと考えるくらいなら

不倫なんかすんじゃねッ。相手の心の内まで触れないのがルールだろうがと

諭された気がした。

一般的に、男が浮気をするのはオスとして当たり前の行動だ。その性質上、風俗

を含めしたことがないと言ってる方が、むしろ不自然だと言える。

でも女は、する人、しない人とはっきり分かれている。それは偶然の出会い

或いは運命的な出会いがあったか、なかったか、にあるのはではないか、と最近

投稿者の相談に対応しているなかで感じるようになった。

瀬戸内寂静氏が不倫は天災みたいなものと言い切った理由は、この辺にあるよう

な気がしてならない。

幸か不幸か、そんな天災にも出会いにも遭遇しないで済んだ女性にとって、夫という

生き物は、単に昆虫にすぎず、女は、結婚して食虫植物そのものに豹変して

いるのではないのだろうか。

女という性は、美しい花を咲かせ昆虫である男たちを、その色香で受け入れ

そして、心も体も消化してしまう恐ろしい生き物かも知れない。

つまり、女にとって結婚は、愛に寿命があろうが、なかろうか色恋のことなどに

頓着するのは、自らが大地に根を張るまでのことであって、樹木に花を咲かせること

で完結する。その花を咲かせる為の栄養は、もはや愛や性愛などではなく、現実

的な金銭であり、安定した日常で充分だと感じるようになる。そこで満たされている

間は、性への渇きも忘れてしまう。

世の夫というものは、一生、わき目も振らず、この食虫植物を愛し続けなければ

ならないと、神の前で誓わされ、浮気をすれば、一方的に加害者扱いされてしまう。

夫の言い訳など、この残虐で、法律で守られた食虫植物の前では、なんの意味も

なさない。誠に理不尽極まりない話だ。

可愛子ちゃんと、ちょっとくらいは、ちょめちょめしてもいいでしょうが

と思うのは、やっぱり社会通念上許されないことなのか。

一方で、図らずも不倫に堕ちてしまった妻たちは、食虫植物として存在する一般

的な女性たちからは見事にこぼれ落ちていく。個別の哀しみを抱え、うたかたを

生きているようで男たちの不埒な心を刺激し、食虫植物と違って、どこか佇まい

が美しく観えるものだ。

人の道に外れようが、私だったらやっていけるかも知れない。今のままで居れば確実

に女でなくなる。この道ならぬ恋路にかかる架け橋が、危ないか、危なくな

いかは、渡ってみないと分からない。現状に甘んじて、この橋を渡らない方がきっと

無難だろうくらいは、容易に想像がつく。

慌ただしい日常から離れ、心解き放たれる非日常の大人の恋は、結局のところ危険を

かえりみない、たおやかな勇気と情熱を持った女だけにしか訪れない。

女は、結婚して役割が増えるとその煩雑とは裏腹に、誰からも役割を持たない素の

自分は、決定的に必要とされていないことに気づき、私、何やってんだろうと

いう思いに駆られる。

自分は、家では家具や調度品と同じではないか、夫や子供は、用のない時は目もくれ

ず無関心に目の前を通り過ぎる。

これが日常における本当の幸せだと知りながらも女の性は、叫けび声を上げずに

はいられなくなる。

そして女の性がよみがえる頃になると、心と体の全てを用いて全身で人を愛する

悦びを予感し始める。だが一方でそんな愛も、長くは続かないことを知るうちに

愛の高みに中で、この愛も虚構だという考えに至る。しかし、不倫が辿る男女の

道筋は、ただ無為に生きていく日常の暗がりに、最も美しい光を放ち続けている

のも紛れもない事実だ。不倫をするか、しないか、止めるか、続けるかは貴女し

だいということだ。

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